2515「神さまの微笑み」2021.11.13 自分で自分を自分するから

https://tenmei999.blogspot.com/2021/11/251520211113.html

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年11月08日の記事を紹介します。

「神さまの微笑み」

縄文の昔から、日本人は、全ての中に神様を見出してきました。

私も、特定の宗教には入っていませんが神様の存在を確信しています。

“2515「神さまの微笑み」2021.11.13 自分で自分を自分するから” の続きを読む

ラマナ・マハルシとの対話より 31ー3

つづき

 それゆえ探求者の目的は、ハートからヴァーサナーという水を捨て去って、永遠なる意識の光がいかなる反映にも妨げられないようにすることにあるのです。これは自我の源を探り、ハートの中へと潜って行くことで到達されます。これが真我実現のための直接的な方法です。この方法を選んだ者は、ナディーや脳、スシュムナー、パラーナディ、クンダリーニ、プラーナーヤーマ、チャクラといったことについて心配する必要はまったくありません。
 真我がどこか他のところからやってきて、頭頂から身体の中に入るわけではありません。真我はただあるままに在るのです。それは常に輝き、常に不動で、揺らぐことも変わることもありません。変化はハートに宿る真我に初めから備わったものではありません。真我は太陽のように、自ら輝いており、変化はその輝きの中に見られるのです。
“ラマナ・マハルシとの対話より 31ー3” の続きを読む

2514「幼き天使 」2021.11.12 自分で自分を自分するから

https://tenmei999.blogspot.com/2021/11/2514-20211112.html

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年11月07日の記事を紹介します。

「幼き天使」

素直で謙虚な心で周りを見渡してみれば、神々はどこにでもいらっしゃいます。

・人の心の中

・目立たなくても精一杯、今を喜び花を咲かせる植物たち

・人間を信じ切った瞳で見つめてくれる動物たち

・さえずる小鳥たち

・元気を出してというかのように周りを飛んでくれる蝶々、トンボ

・いろんな表情を見せてくれる大空の雲

今日の神の山 天空農園
“2514「幼き天使 」2021.11.12 自分で自分を自分するから” の続きを読む

ラマナ・マハルシとの対話より 31ー4 ヴァーサナー(心の潜在的傾向 自我)

・・つづき

 しかし私は言いました。「どうしてそうありえるでしょう?ヴァーサナーは真我とともに在り、けっして真我から離れて在ることはできません。もしあなたが言うようにハートが真我の座で、ヴァーサナーが脳に含まれるというなら首を断ち切られた人はヴァーサナーから解放され、転生はありえないということになります。それが不合理であることにはあなたも同意するでしょう。だとすれば、真我がヴァーサナーとともに脳の中にあると言えるでしょうか?もしそう言えるとすれば、人が眠り込むとき、どうして首をがくりと落とすのでしょう?しかも自分の頭を指さして「私」と言う人などいません。こうしてみれば、真我がハートの中にあり、ヴァーサナーも極度に微細な姿でそこにあるということは明らかです。
“ラマナ・マハルシとの対話より 31ー4 ヴァーサナー(心の潜在的傾向 自我)” の続きを読む

2513「大峠を越えるために」2021.11.11 自分で自分を自分するから

https://tenmei999.blogspot.com/2021/11/251320211111.html

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年11月05日の記事を紹介します。

「大峠を越えるために」

江戸後期から明治にかけて一斉に日本で起こった霊的な磁場、鼓動。

そこでは人類にとっての大峠、時代がぐれんとひっくり返る

など近未来に対して様々な予言が語られています。
“2513「大峠を越えるために」2021.11.11 自分で自分を自分するから” の続きを読む

ラマナ・マハルシとの対話より 31ー5 この集中は・・

・・・つづき

 この集中は聖典の中でサンヤマナ(自己抑制)と呼ばれています。人の欲望はこの過程を通して満たされるのです。。それはシッディー(超自然力)と呼ばれています。これがいわゆる新発を起こす方法です。この方法によれば、世界を創造することさえできます。サンヤマナはあらゆるシッディへと導きます、しかし自我が生き残っている間、それらが顕現することはありません。ヨーガによる精神集中は体験者(自我)体験、そして世界の破壊をもたらします。この集中は個人に新しい世界を創造する力を与えます。そのとき、かって存在していた欲望は、気が熟すとともに満たされるのです。この集中は個人に新しい世界を創造する力さえ与えます。
 そのような能力を所有しない者たちにとって、それは素晴らしいものにみえるでしょう。それでも、それは一時的なはかないものでしかありません。はかない物事を追い求めるのは無益なことです。この世のありとあらゆる不思議は一なる存在である不変の真我の中に含まれているからです。それゆえ、世界は内側にあり、外側にあるのではないのです。この意味については「シュリー・ラマナ・ギーター」の第五章十一節と十二節に述べられています。

「2」「シュリー・ラマナ・ギーター」の第五章十一節と十二節
“ラマナ・マハルシとの対話より 31ー5 この集中は・・” の続きを読む

2512「祈り」2021.11.10 自分で自分を自分するから

https://tenmei999.blogspot.com/2021/11/251220211110.html

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年11月04日「祈り」と2021年11月06日「シリウスと瀬織津姫」の2つの記事を紹介します。

「祈り」

今日は、渡辺和子さんのお話を通して、神さまは、どうやって人間の祈りに答えてくださるのか、考えてみたいと思います。

<引用開始> 引用元

・もし私が祈ったことが全部叶えられたら、どうなるのだろう

・神様のお役目というものは、人間の願いを全部叶えることなのだろうか

・いくら祈っても、所詮(しょせん)神はご自分の好きなようになさるのだとしたら、

祈っても、祈らなくても同じではないか

その上で渡辺さんはイエスの言葉を紹介します。

“2512「祈り」2021.11.10 自分で自分を自分するから” の続きを読む