再録 奇跡の道 その133~癒し

神は扉の傍らに立っており、赦しはその扉を開く
唯一の鍵でしょうか。

癒しとは、赦しの強さのしるし、またはその象徴ですね。

病気とは、赦そうとしない想念の証でしょうか。
肉体を癒すということは不可能ですね。

そして肉体を生じさせた原因は、神の子が抱いた
赦そうとしない思いそのもの。
天国には赦すものなどありませんね。

死は報奨であって、決して処罰ではないようです。

赦しのみが、あなたが与え、また受け取れる
唯一の贈り物。
偽りの癒しは肉体の治癒の上に成り立っていますが、
それは依然として病の原因を変えずにおくので、
病の再発は可能となります。

再録 奇跡の道 その134~奇跡の道の最終扉

ここまで自己学習である「奇跡講座」の中の
数々の言葉や、体験の中から感じられた言葉を
交えて、「奇跡の道」について書かせていただきました。

あまりに単純なことなのに、このように134項もに
わたって記述が続いたことに驚きです。

人生での数々の御縁が、自らが生まれ出たわけを
伝えているようです。
どんなささいな出会いでも、出会ったことは意味があって、
その時に感じた多くの「分離感」をすべてなくすように、
「赦し」
の機会を出会いによって与えられるようです。

「赦し」がとても困難と思えることがらや、
お人との御縁であっても、そのことやお人への
「赦し」が困難であればあるほど、またそれが
大きければ大きいほど、赦し赦された時に、
「奇跡の道」はめざましく広がりを見せていきます。

「やってみること」しかご進言できる言葉はありません。

しかもその「赦し」には大きさの違いはありません。
どんなことも、小さなことも、大きなことも
一つ残らずするしか道は開けません。

難しさの差は関係ないようです。
一つ残らずですから。

ほんとうに、最後に、

「宇宙があなたの解放を待っています。
それは宇宙全体の解放だからです。

宇宙とあなた自身に対して、親切でありますように」

ありがとうございます