真理の光~その2 物質は何故固まるのか

光と原子.jpg
上の図は、光は物質の糊と言った浜松ホトニクスの会長さんの
ビジョンの中にありました。 またご著書もあります。
詳しくはこちらで。
浜松ホトニクスのビジョン
浜松ホトニクスといえば世界的に有名な光電管の企業です。
カミオカンデでの小柴さんの発見に貢献した光電管の
制作会社で、影のノーベル賞といわれました。

この会社の会長さんである畫間輝夫さんは物質の基本単位である
原子は原子核の+と電子の-で構成されているので、そのままだと
自然の法則で+と-は引き合って0になってしまう。
それなのに原子の単位がたくさん集まって物質としてなりたっている
のはその間に光が介在しているからだと言いました。
そして物質として固まるのは、その光が糊のような役割を果たしていると。

この四月から名古屋にレゴランドができました。
このレゴは原子1ケのようなもの。
レゴは人が力を入れてはめますと、どのような形にもなります。
人が光のようなものです。

「すべては光」  この言葉の意味が少しはっきりとしてきました。

畫間会長さんのお名前は興味深いです。
ひるまてるお さんです。
まるでひかりの化身のようなお名前です。
この方に影響を与えた方が、この国のテレビジョンの発明者
高柳健次郎さんでした。

高柳さんは後の静岡大学の最初の学生さんでした。
ラジオが電波で送ることができるのならば、映像もできるはずと
学長さんの支えもあって研究を重ね、ついに「イ」という画像を
電送することに成功します。
戦前のことでした。

金属に光が当たると1ケの電子が飛び出ます。(光電効果)
それを真空管で幾度も反射させ、真空管の底部では一ケが
1000万ケにもなります。

光はーーーガンマ線ーエックス線ー紫外線-可視光線ー赤外線ー
遠赤外線ー電波ーーーーとなり。
可視光線は光のほんの一部であり、波長はガンマ線のほうが
短く振動数は大きいです。

ガンマ線とエックス線と紫外線の一部は地上までには届かないようです。
見える可視光線を主に使って電気を集めるのが太陽光パネルです。
でも光一ヶで電子一ヶが太陽光パネルなのです。

もし電子一ヶが1千万倍になって、電圧(電気のダム)をつくり
電流となって流すことができたらエネルギー問題は解決します。

この現象の世界のエネルギーと言われるものはすべての
すべてを生み出します。
水も食料もです。

それが地球上にまったく平等に太古の昔から降り注いでいます。
実は夜も昼も雨の日も雪の日もです。

光は電波であり磁波です。(電磁波)
見えるものだけが光ではないです。

見えない光こそ大きなエネルギー(振動)を有しています。

まさに光は天照大御神ともいえるようです。

随想 伊路波村から67~エルトゥールル号の遭難 ~生命の光から

和歌山県の南端に大島がある。
その島の東には灯台がある。
石造りでは日本でいちばん古い。
明治三年(1870年)にできた樫野崎灯台。
今も断崖の上に立っている。

びゅわーんびゅわーん、猛烈な風が灯台を打つ。
どどどーんどどどーん、波が激しく断崖を打つ。

台風が大島を襲った。明治二十三年九月十六日の夜であった。

午後九時ごろ、
どどかーんと、風と波をつんざいて、真っ暗な海のほうから音がした。灯台守(逓信技手)は、はっきりとその爆発音を聞いた。
「何か大変なことが起こらなければいいが」
灯台守は胸騒ぎした。しかし、風と、岩に打ちつける波の音以外は、もう、何も聞こえなかった。
このとき、台風で進退の自由を失った木造軍艦が、灯台のほうに押し流されてきた。全長七十六メートルもある船。しかし、まるで板切れのように、風と波の力でどんどん近づいてくる。
あぶない! 灯台のある断崖の下は「魔の船甲羅」と呼ばれていて、海面には、岩がにょきにょき出ている。

ぐぅぐぅわーん、ばりばり、ばりばりばり。

船は真っ二つに裂けた。その瞬間、エンジンに海水が入り、大爆発が起きた。この爆発音を灯台守が聞いたのだった。
乗組員は海に放り出され、波にさらわれた。またある者は自ら脱出した。真っ暗な荒れ狂う海。どうすることもできない。波に運ばれるままだった。そして、岩にたたきつけられた。

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一人の水兵が、海に放り出された。大波にさらわれて、岩にぶつかった。
意識を失い、岩場に打ち上げられた。
「息子よ、起きなさい」
懐かしい母が耳元で囁いているようだった。
「お母さん」
という自分の声で意識がもどった。
真っ暗な中で、灯台の光が見えた。
「あそこに行けば、人がいるに違いない」
そう思うと、急に力が湧いてきた。四十メートルほどの崖をよじ登り、ようやく灯台にたどり着いたのだった。
灯台守はこの人を見て驚いた。服がもぎ取られ、ほとんど裸同然であった。顔から血が流れ、全身は傷だらけ、ところどころ真っ黒にはれあがっていた。灯台守は、この人が海で遭難したことはすぐわかった。
「この台風の中、岩にぶち当たって、よく助かったものだ」
と感嘆した。
「あなたのお国はどこですか」
「・・・・・・」
言葉が通じなかった。それで「万国信号音」を見せて、初めてこの人はトルコ人であること、船はトルコ軍艦であることを知った。また、身振りで、多くの乗組員が海に投げ出されたことがわかった。
「この乗組員たちを救うには人手が要る」
傷ついた水兵に応急手当てをしながら、灯台守はそう考えた。
「樫野の人たちに知らせよう」
灯台からいちばん近い、樫野の村に向かって駆けだした。電灯もない真っ暗な夜道。人が一人やっと通れる道。灯台守は樫野の人たちに急を告げた。
灯台にもどると、十人ほどのトルコ人がいた。全員傷だらけであった。助けを求めて、みんな崖をよじ登ってきたのだった。
この当時、樫野には五十軒ばかりの家があった。船が遭難したとの知らせを聞いた男たちは、総出で岩場の海岸に下りた。だんだん空が白んでくると、海面にはおびただしい船の破片と遺体が見えた。目をそむけたくなる光景であった。
村の男たちは泣いた。
遠い外国から来て、日本で死んでいく。男たちは胸が張り裂けそうになった。
「一人でも多く救ってあげたい」
しかし、大多数は動かなかった。
一人の男が叫ぶ。
「息があるぞ!」
だが触ってみると、ほとんど体温を感じない。
村の男たちは、自分たちも裸になって、乗組員を抱き起こした。
自分の体温で彼らを温めはじめた。
「死ぬな!」
「元気を出せ!」
「生きるんだ!」
村の男たちは、我を忘れて温めていた。次々に乗組員の意識がもどった。
船に乗っていた人は六百人余り。そして、助かった人は六十九名。この船の名はエルトゥールル号である。
助かった人々は、樫野の小さいお寺と小学校に収容された。当時は、電気、水道、ガス、電話などはもちろんなかった。井戸もなく、水は雨水を利用した。サツマイモやみかんがとれた。漁をしてとれた魚を、対岸の町、串本で売ってお米に換える貧しい生活だ。ただ各家庭では、にわとりを飼っていて、非常食として備えていた。
このような村落に、六十九名もの外国人が収容されたのだ。島の人たちは、生まれて初めて見る外国人を、どんなことをしても、助けてあげたかった。だが、どんどん蓄えが無くなっていく。ついに食料が尽きた。台風で漁ができなかったからである。
「もう食べさせてあげるものがない」
「どうしよう!」
一人の婦人が言う。
「にわとりが残っている」
「でも、これを食べてしまったら・・・・・」
「お天とうさまが、守ってくださるよ」
女たちはそう語りながら、最後に残ったにわとりを料理して、トルコの人に食べさせた。
こうして、トルコの人たちは、一命を取り留めたのであった。また、大島の人たちは、遺体を引き上げて、丁重に葬った。

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このエルトゥールル号の遭難の報は、和歌山県知事に伝えられ、そして明治天皇に言上された。明治天皇は、直ちに医者、看護婦の派遣をなされた。さらに礼を尽くし、生存者全員を軍艦「比叡」「金剛」に乗せて、トルコに送還なされた。
このことは、日本じゅうに大きな衝撃を与えた。日本全国から弔慰金が寄せられ、トルコの遭難者家族に届けられた。
次のような後日物語がある。
イラン・イラク戦争の最中、1985年3月17日の出来事である。イラクのサダム・フセインが、
「今から四十八時間後に、イランの上空を飛ぶすべての飛行機を撃ち落とす」
と、無茶苦茶なことを世界に向けて発信した。
日本からは企業の人たちやその家族が、イランに住んでいた。その日本人たちは、あわててテヘラン空港に向かった。しかし、どの飛行機も満席で乗ることができなかった。世界各国は自国の救援機を出して、救出していた。
日本政府は素早い決定ができなかった。空港にいた日本人はパニック状態になっていた。
そこに、二機の飛行機が到着した。トルコ航空の飛行機であった。日本人二百十五名全員を乗せて、成田に向けて飛び立った。タイムリミットの一時間十五分前であった。
なぜ、トルコ航空機が来てくれたのか、日本政府もマスコミも知らなかった。
前・駐日トルコ大使、ネジアティ・ウトカン氏は次のように語られた。

「エルトゥールル号の事故に際し、大島の人たちや日本人がなしてくださった献身的な救助活動を、今もトルコの人たちは忘れていません。私も小学生のころ、歴史教科書で学びました。トルコでは、子どもたちさえ、エルトゥールル号のことを知っています。今の日本人が知らないだけです。それで、テヘランで困っている日本人を助けようと、トルコ航空機が飛んだのです。」

 

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文・のぶひろ としもり
絵・ば ば  のりこ
(『生命の光 No.590』p.41-47より抜粋)

随想 伊路波村から68~秋が行く  041125

休日の朝。

駐車する路上への道すがら、
葉っぱが抜け落ちた銀杏の木を
車内から見上げる。
きれいだなあーーー。

娘と久々に 名古屋城の公園を歩く。

ほっとすることもなく、
歩き続けたママが少し病院で休憩中。

「ゆっくり休めよ。
何にも考えんで。
任せなさい。」

精一杯そんなふうに明るく言葉かけ。
細くなったなあと、足を見る。

ひとまわり小さくなった身体。
選択した人生の種類はあまりに違うけれど、
一緒に30年暮らした。

80歳のおばあちゃんは、
若妻のように若返った。
その背を除けば。

2世代の娘たちは自力で解決の道を探る。

我が家の秋は進んでいく。

今生の御縁に繋がれて

3月30日月曜日、11時30分の昼食の約束がありました。
待ち合わせの場所に出向くため10時30分に家を出る。

表に出ると雨が降っていて、
急いで家に戻り傘を傘立てから抜きました。
再び表に出る。
そこに一台のタクシー。
荷物を持っていたので右手の傘を上げました。

タクシーは急停車。
すこし斜めになって停まりました。

東和タクシー。名古屋で一番古いタクシー会社です。

運転手さんに行き先を告げて、急いで停めさせたお詫びをしました。
東和さんは、実の父親が勤めていた会社。
おそらく組合ができたての頃やる人がいなくて
組合長をしたのでしょう。おそらく初代。

で、運転手さんにいろいろ話しかけさせていただきました。
いつものように。

「運転手さん長いんですか。?」

「う~~んもう54年ですかね。」

「ベテランですね。東和さんはどれくらいですか。?」

「だからずっとです。」

「それじゃあ 森本っていう組合やっていた人
もしかして知ってますか。?」

「ええ!!」と驚かれて後ろを振り返らんばかりの運転手さん。

「知ってますよ、お話だけですが。当時私も15年ばかり
組合にタッチしていましたから、その当時の組合長さんが
よく森本さんのお話をしてくれました。」

運転手さんのYさんは生粋の名古屋人。
もう今年で76歳になられる。

父は生きていれば101歳。77歳で亡くなっている。

「あの森本の息子なんです。」

「はあ~~。それはそれは。」

「父のことお聞きできてほんとうに嬉しいです。
知って見える方のタクシーに今日このタイミングで
乗れるなんて。奇跡です。」

そう申し上げて金山駅で降りた。
運転手さんにお会いできたご縁をどのように理解したら
いいのか考えた。

今日はとても大切な食事会。
大恩ある方に今までの御恩に報いるための
セッティングだ。

食事会の終了時、短い口上を述べさせていただいた。

「もう何年前になりますか。ばらさん(共通の女性友達)とみなさんに
言い知れぬご援助をプライナスがいただきました。長い間そのご恩に
報いることもできない、恥ずかしい親でした。
それから2008年には奥様に長い文のファックスを送らせていただいて
そのころ泣かず飛ばずのEさんへのご援助をお頼みしました。

快く引き受けていただきました。
そのあとご主人もお声がけいただいて、それは
お断りいたしましたが、とても嬉しかったです。

そのあとあの地震があって、Eさんはものすごく
全国の注目を浴びました。
大活躍の時が訪れました。

今があるのはお二人のおかげです。」

もう胸が詰まって言葉にならず。
でもなんとかお二人にお告げすることができました。

今から続く若い力の平和と人道への願いと、もしかして
もうすぐかなうかもしれない新しい技術が世に出るときの
心からのご協力をお願いし、食事会を終えました。

父が後を押していたのかもしれないと、あとでしみじみ感じました。

ありようもない出来事。
そして「対面同席五百生」の教えが
皆様のお口から出て、出会いの不思議と
これからの希望が湧き上がりました。

心が喜びに満たされました。

このシーンはすでに1月に見えていました。
ありがとうございました。

真理の光~その3 自然界の法則 思ったとおりになるとは

人間は思ったとおりになる、それは真理の法則。

このことの
ひとつの仮説を立てました。

「原因なき 原因」 
科学者が物事を研究し尽くすとき、
いつも小さな単位の電子や陽子や中性子や光子(フォトン)が
どこから生まれたのかに行き当たります。
それは不明なのです。

だから因果の法則である、自然界の法則もただ一つ
現実界を見せている元の最小の単位である素粒子なども
何故できたのかがわからないようです。

科学の難しい話ではなく。
この現実界の成立している原因であるもとの
小さな単位の発生の理由がわからないので
「神」とも「原因なき原因」ともいわれるのです。

それはともかく物質になんらかの力が働くとき
電子(-)が動いて光子(フォトン)を呼び込むと
聞きました。
そして電子があるべき位置に戻ろうとすると光子が
飛び出て光るとも。

光子が電子を固まらせて物質にさせる大きな役割を
持ってることも。

電子の形は不明とされています。

それは電子の周りにはさまざまな振動数をもつ
さまざまな光子がびっしりと雲のように存在して
電子を隠していることによるようです。
このように、

電子と光子.gif

原子核と電子である原子が光子の働きをえて
さまざまな万物に形を作っています。
もとは原子ひとつからです。

「原因なき原因」の原子は宇宙のあらゆるところに遍満しています。
それがあることで固まって宇宙にある星ぼしになりました。
そして生命体が生まれ、人類が生まれました。

光子は電波であり磁波であり粒であって、
電子のながれである電気の力を伝播します。
光子といっても見える可視光線だけではなく、
無限の異なった振動数を持って電子の周りを覆っています。

ここで旧約聖書の始めの言葉から考えてみました。

「はじめに言葉ありき」
「言葉は神なりき(創造者である)」
始めに言葉がないとまず物質が固まらない。

だから最初の最初に「原因なき原因」である神(創造者)があって、
天地の創造者である神は言葉そのものと言っています。

神は形なく、二つとないともいっています。
天地創造の最初の項目です。

(ヴィキペディアから)
天地創造(てんちそうぞう)とは、厳密にはユダヤ教のヘブライ語聖書、
キリスト教の旧約聖書『創世記』における世界の創造のことを指す。
宗教絵画などでよく題材となる。
天地創造の流れ

ユダヤ教・キリスト教の聖典である旧約聖書『創世記』の冒頭には、
以下のような天地の創造が描かれている。

1日目 神は天と地をつくった(つまり、宇宙と地球を最初に創造した)。
     暗闇がある中、神は光をつくり、昼と夜ができた。

2日目 神は空(天)をつくった。

3日目 神は大地を作り、海が生まれ、地に植物をはえさせた。

4日目 神は太陽と月と星をつくった。

5日目 神は魚と鳥をつくった。

6日目 神は獣と家畜をつくり、神に似せた人をつくった。

7日目 神は休んだ。
        ここまでです。

聖書のことですから、もちろん信じる方だけのお話ですが、
聖書はこの現実の物質世界の成り立ちを、大きく言って陽子(+エネルギー)と
電子(-形)とそれをくっつけて物質という現実世界にしている光子(フォトン)の
関係を語っているとも考えられるのです。

ここで光は見えるものも見えないものもあるので、4日目に作られた
太陽が光子の元ではないようですね。1日目にはすでに光が作られ
天と地、光と闇ができています。

その後神はあらゆる自然物を創造します。

そして日曜日なのか休みました。

いずれにしてもこの「天地創造」の物語から物質世界を
作ったのは「神」という原因なき原因だとわかります。

そしてまた電子も陽子も光子もただある状態の時には
認識されることなく存在しすべての原因として「0」不変であったとは
いえないでしょうか。

この自然界の真理法則は「出したものが返る」です。
また作用反作用の法則とも言われます。
押したら押し戻す力が働く。

自然界の法則はまた、エネルギーが物質を変化させる。
物質が物質を変化させることはないとも聞きました。

物質と物質にエネルギーギャップが働くとそれを
「0」にしようとする働きが真理法則であり「神」ともいえます。

そのもともと「0」不変の無宇宙に「神」の意識(エネルギー)が働いた。
意識はエネルギーです。

その意識を神が出したことによって、その意識を「0」にするべく
その意識されたことを次々に現実化された。

現実化によって神は充たされ「0」になった。

それは現実界の真理法則どおりです。
この世界は無限の意識が作用しています。
その反作用としてこの世界があるとはいえないでしょうか。

真理の法則は意識する(思う)ことで、その意識エネルギーの
反作用として必ず現実化するようです。

変化してやまないこの現実ですが、常に意識したことが
良い悪いは別として現実化することが真理法則であれば、
神の子である人間は、神と同じ無限意識と無限エネルギーを
持って存在していることは確信できることと感じます。

「思ったとおりになる。」
思ったことがかなわないのは、かなわないと思っているから。

「想念は実現の母」  イエスキリスト

「あなたは思ったとおりの人間です。
それ以上でも以下でもない。」   知花 敏彦 師

いろんな言葉が浮かびます。

人間はすべての人が神の子ですね。

随想 伊路波村から69~剣 山 041130

1994年7月16日。K女史・M氏と共に名古屋空港を発つ。

M氏の切符は高知行き。K女史と二人の切符は高松行き。

出発直前にそのことに気づき二人にあわせて、
M氏は高松行きに切り替える。

高松空港着。待ち合わせ時間に誰もみえない。

携帯に企画者の高根女史に連絡をとる。
高知が待ち合わせ場所だった。

今日は全員で空海悟りの地、室戸岬を訪ねる予定だった。

我々は電車を乗り継ぎ、タクシーに乗り、メンバーと出逢うべく高松を発つ。

連絡をとりながらだがなかなか逢えない。
途中の小さな駅近くでやっと出逢う。

一路、剣山近くの宿へ、桂橋近くのお宿到着。
なんと二十才の頃キャンプした河原の前の宿だった。

さっそく温泉にM氏と入る。長くお話をうかがう。
人間の本源について、わからないことを聴く。

私の頭は、ついていけない、わからない。それ以上は進まず、宴会。

宴席正面に高根正教さんが座る。
子供のようなウルウル目、話してみえることがらも子供のようで、

内容はさっぱりわからない。とにかくわからないけれど、
誘われるままに参加した旅なのだから。

剣山の秘密、ユダヤ民族と日本民族のルーツ。
始めてうかがうことばかり。したたか酔って就寝。
朝五時起床。思い出の河原にでてみようと外に出る。

旅館の前の道端の小さな花にカメラをむける先客O女史あり。

目に一杯涙をためて、泣いてみえる。
「お日様の光があたって、このしずくなんてきれいなんでしょう。

ダイヤモンドみたい。」そんなことで泣くなんてと、
無骨な中年は思う。「歩きましょうか。」

といって、少し上流へ道なりに歩く。
草がきれいなところにでた。

光にあたって水滴をお日さまに透かして観てみる。
「なんてきれいなんだろう。」

今度はほんとうにそう感じる。O女史のおかげだ。

白装束に身を替えて、一路剣山へ車は走る。
剣神社到着。参拝。七月十七日は毎年、剣山のお祭りだ。

白装束の男衆がみこしをかつぎ、ふもとの剣神社から一時間半程、

山を登り、山頂での儀式を行なうのである。
この日は、京都の祇園祭りの日でもある。

たくさんの全国からの人々が、剣山の途中迄行くリフト乗り場でリフトを待つ。

ほぼ全員が白装束だ。外国人たちもたくさんいる。暑い日だ。
三十分程、順番を待って、いよいよ番がきた。リフトの№をみる。
八八番。腰をすえる。

素晴らしい天気。気持いい―。
と思ったとたん二十M程登ったところで突然に泣く。

目に涙が溢れる。流れでる。鳴咽。何故?何故?何?。

降りのリフトの人が目の前に迫る。恥ずかしい。
何?しばらくすると納まる。十分程で途上駅に到着。

着いてメンバーをみたら、朝逢ったO女史のアイシャドーがずたずたに流れていた。

同じだったんだ。フーフーいいながら、それから四十分、剣山登山。

つる岩かめ岩がある。鶴亀山。
剣山の山中にあるという、泉から流れでる水場に寄る。

山頂は平原。熊笹がビッシリとはえている。これが山頂か。

不思議なことに私は、剣山のことを何もしらずに参加したのだ。

そしてその日から、剣山の謎に興味をもった。
そして次々にそのような話題が目前にあらわれた。

前出の高根さんは、親子二代にわたる剣山研究の第一人者。
ユダヤの契約の箱が剣山に眠っていたというのである。
眠っていた。今はどこに?謎である。

それはともかく不思議なできごとは、インド・ボリビア・イスラエルに迄いたる
好奇心の旅のきっかけとなった。
誘って下さったK女史への感謝の気持ちは表しようもない。

人はみんなつながっているのだろうか。

真理の光~その4 因果 空と物質

「玉みがかざれば 光なし」

「机を磨くと何故光るんだろう。」

この疑問をEさんは随分長い時間考えたようです。

そしてその答えが物質に圧力がかかれば
エネルギーが吸引されて物質は酸素いっぱいになり
光り出す。との結論のようでした。

しかしエネルギーが入るとはどういうことなのでしょうか。

光での解はこうとらえました。
「物質に圧がかかると、物質内の電子が不安定になり
安定状態に戻る(0に戻ろうとする)ために「光」を発する。」

押すとは押そうと思って押します。
意識エネルギーです。

そうすると自然の0に戻す法則が働いて。
反発力が生まれます。
この反発力が自然エネルギーでフリーエネルギーとも
言われます。

意識を出すことはなんらかのエネルギーを出すということです。

その結果としてその出した意識エネルギーを0に戻そうとする
自然エネルギーが働いて「空」(無限エネルギー)から現実化
します。 作用反作用の自然法則です。

遠隔治療は効果があると実感された方も多いことでしょう。
何故でしょうか。

遠隔治療をしようと祈り、意識を出します。
意識エネルギーです。

遠隔治療をなさる方がどのようにされるのかは
わかりませんが、おそらくお相手の方の患部に
光をイメージなさるのでしょうか。確実に変化を起こすようです。

重篤ながん患者や脳腫瘍ができた方を短時間で癌や腫瘍を
消してしまう医師の方のお話を知りました。

アメリカの医師のようです。
あまりの評判に他の医師がほんとうかどうか試すために
その医師のもとに重篤な患者を送りました。

15名の方がほぼ30分間おきに快復されたとのお話でした。
個人との一対一の面接です。

患者の方との共同作業で患部がなくなって治癒するようです。
どのようにされるのかは不明ですが、ただからだの病気は
意識が作り出すことを患者さんに納得させ(因果)その後あることを
して30分間でなおる。 まさに遠隔と同じ意識エネルギーによる
光のイメージにほかならないと感じさせます。

また逆の方向で考えて見ます。
よく思った不安のほとんどは現実化しないといわれます。
何故なのでしょう。

不安とはなったらいやだなと感じることがらです。
なったらいやだということはならないと強く思うことではなく
漠然とした現実化を拒否する意識です。

またなんとかは忘れた頃にやってくるといいます。
不安が遠のき忘れてしまい、したいほうだいにしながら、
怒り、嘆き、悲しみ苦しみを抱いている現代の世界の
世相のようなときに、そうした意識エネルギーが出された
結果として天候の不順や天変地異を現実化しているとはいえないでしょうか。

一方人間の未知能力を長い間地道に伝え、どんな人にも
同じ能力があるんですといい続ける長崎あんでるせんの
喫茶店のマスターHさんの見せる現実は「因果」を証明する
大きな驚きを与えてくれます。

こうなると人が断定的にイメージすればできないことはないと
伝えているのです。

ライターがねじり飴のように曲がる。
スプーンがフォークになったり、捻じ曲がったりする。
一万円の紙幣の中を100円玉が直角に横断しても
あとかたもない。

500円玉に常温のタバコで穴が開き、タバコを抜いたらまたその穴がなくなる。

100円玉を手のひらでたたくとビスケットのように割れて
両手の手のひらで押すとまたもとに戻る。

物質が空でできていることの証明です。
そして極めつけは物質のテレポーテーションです。

手元の他の方の時計がその場で消えて、持ち主か
その腕時計しか知らないいつもの置き場所に(または置かれ場所)に
戻っている。長崎と名古屋の話です。

このことは時間や空間は現実といわれる場所でのことであり
実は一つしかない生命という「空」の原子一ヶ一ヶにも生命があり
意志も意味もあることを証明していると感じます。

こうなると強い断定が意識エネルギーによって現実化する
ことはエネルギーが強ければ瞬時にできることをも伝えています。

イメージの中、想像を絶する莫大な光が毎瞬毎瞬噴き湧き出てくるわけは
人類などの出す無限の意識エネルギーによって現実化するための光が
そのお役を担っているためなのでしょうか。

そしてその噴きあがる莫大な無限の光の元と自分は一体なのでしょうか。?
「一体全体」の世界観です。

もしかすると自分の意識が現実を作っているといえるのかもしれません。

電子(電気)で充たされた世界。
その電子の周りをびっしりと雲のように覆う光子(光)。
電子や光子を自由に動かす陽子(原子)。

すべては電気。
すべては光。
すべては無限意識。

「霊肉一体何故?」

随想 伊路波村から70~うさぎの泣き声 041224

23日午前8時、まみちゃんが上から泣きながら
降りてきた。上下2階の我が家。
「死んじゃう!」

うさぎのモナカのことだった。
上に見に行った。
モナカはまみちゃんの腕にだかれて、
虫の息。

しばらく様子を見ていると、
「クイーッ クイーッ」と2回鳴いた。
うさぎの声を生まれて初めて聴いた。
「クイーッ」ともう一回鳴いた。

身体は自然に硬直していっていた。
「もう寿命だよ」って言うと。
「まだ死んでない!」とまみちゃん。

CDケースくらいの大きさから育てて7年目だから、
ほんとに可愛かったんだろう。

しかも黒いショコラと茶色のこのモナカは兄弟で、
モナカは無料でいただいてきたらしい。
母親に片方の耳をかじられ、のどもとも
かまれていたという。
それを医者に連れて行って、縫ってもらって治した。
生命力がないと本能的に母親はわかったんだろうか。

それから6年間以上も生きてきたモナカ。
最近では忙しくて面倒はもっぱら
おじいちゃんとおばあちゃんの仕事。
ひまごみたいだねって言ってた。

「ウサギが鳴くときは、死ぬときだよ。」
博士の貴央、つぶやく。

騒動から1時間後、モナカは息をひきとった。
もうまみちゃんの目ははれてしまった。
それからもうさぎを離そうともせず、
泣きっ放し。
むかし大切にしていたかたつむりを
落としてしまって死んじゃったときと
同じだとお母さん。
これで2度目のお別れだ。

あんまり離さないものだから、お経をあげるからと言うと、
横に寝かせた。

線香の香り。般若心経。
となえ終わると、モナカがピクッと動いた気がした。

それから「TAO]をモナカと一緒にみんなで聴いた。
兄弟真っ黒うさぎのショコラも一緒。

動物霊園に連れて行く前にひろくんがつぶやく。
「今日は23日、やっぱり23という数字です。
モナカは何を教えてくれたんだろうか。」

インディーズデヴューが今年の1月23日。
プライナスはこの1年間でさまざまな体験をした。
自由に純粋に音楽で生きたい彼らも、
生きるということを考えざるをえないできごとに
さまざま遭った。

口から言葉がひろくんに向かってでていた。
「今月の御天画にねのってたの、
真ん中の丸の中、分離したのがこの世。
巴紋。男と女、上と下、善と悪、みんな二つ。

だけれどそれが小さくなって三つ巴になってたの。
三位一体。すべてを許し認める。善も悪も、上も下もない
そんな時がきているみたいだね。」

ひろくんもまみちゃんも泣いていた。

「暮れになって、いろんなことが重なりました。
今までの生き方ではやっぱりだめなのかって、
考え直そうとおもってもみました。

だけど今日23日、モナカが死をもって
教えてくれました。
吹っ切れました。」
ひろくんは何かを大きく感じていた。
夕方にはおじいちゃんが口内出血。
救急病院へ。

歯医者での治療部分からの出血が、
サラサラ血液にする薬の服用のおかげで、
止まらなかったようす。

「無から1を生じ1は2を生み2は3を生む。
3は無に帰し1を生ずる。老子。」
再びの博士貴央。

騒がしい学びの暮れのできごと。

たくさんを残してモナカは旅立った。