11月11日 岩戸開きから 12月12日 弥勒の日まで その2

沖縄滞在三日目、最終日の11月12日になりました。

みなさんは昨夜の山根さんのワークショップの興奮にそのまま浸るかのように、朝のバイキングルームで大きな一塊になって山根さんを囲んでいました。

こちらはコーヒーの立ち飲みでした。

出発の時がきました。ここで山根さんと大阪から参加の藤田さんとはお別れです。10名が久高島に向かいます。

乗船場の安座間港に着きました。チケット売り場で今日は久高島が祭礼の日と知りました。ですからニライカナイは通行止めかも知れません。
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11月11日 岩戸開きから 12月12日 弥勒の日まで その1

岩戸開きといわれる11月11日近くからこの12月12日弥勒の日と言われる日まで、まことにあわただしい神惟ら(かんながら)体験をいただきました。

11月3日 文化の日に町内の白龍神社さんの補修工事完了の祝典がありました。その白龍神社さんが皮切りとなりました。

11月10日 テネモスミーティング名古屋 IN 沖縄出発の日です。 “11月11日 岩戸開きから 12月12日 弥勒の日まで その1” の続きを読む

神社の池 秋 最終

2016年6月19日に池の浄化に着手しました熱田神宮では今秋まっさかりです。池の水面にたくさんの枯葉が雪のようにサラサラと落ちていきます。でもおかげさまか、その枯葉の水面での動きが池の水が循環していることを証しました。

三台のジェットポンプがエアドリームの空気を吸引して、池の水を活発にしています。枯葉による有機の泥は年々多くなり、池の水に混ざるので池の鯉や亀は喜んでいますが、池に集まる人々にとっては水の透明度という点では少し物足りないようです。お茶屋さんの女性にお聞きしましたら、夏でも池の匂いはしなくなったとのことでした。

18ヶ月の浄化の実験は一応の終了をみました。担当の方の熱意が新たなる工夫を生み出しました。唯一の緋鯉に子供が誕生したのか小さな緋鯉が挨拶しに来たかのように近くに寄ってきました。池はすばらしい方向に向かうことでしょう。

真理の光 8 追伸 「受容」の幅

「受容」の幅について、先生と生徒の真理探究について、「受容」の幅の差が、関係を継続させると書きました。敵さえも「受容」したイエスについては、すべての人との「受容」の幅の差(ギャップ)が詰まることがないのでイエスに多くの人々が2000年もの間惹かれているのです。

それはお釈迦様も空海も道元も親鸞も日蓮も宮沢賢治も良寛もその他の偉人達も同じように人々を長い間ひきつけてやまない理由です。「受容」の大きさが、人々を大きくひきつけるエネルギーとなっ ています。「受容」すれば「0」になるからです。

すべてを「受容」すれば完全となり イエスになります。逆に「0」になれないので人間として生まれたともいえるのでしょうか。「0」になれない理由は「分離感」にあります。「分離感」を無くすことが、すべてを「受容」することになるようです。

真理の光 その9 一体全体と意識エネルギー

私達の感知する現実世界は一体全体でひとつの生命であることはよく耳にします。そのことと、意識はエネルギーであり光子でもあることの証明が科学的になされました。いつも暮れになりますと送られてくる風天さんの冊子にその記述を見ることができましたので掲載させていただきました。

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すべてのモノはかかわりあって存在していることの証明が上の項目でなされています。そして意識はバイオフォトンという光子であることも。光子ですから意識を向ければ(意識をすれば)電子が動きます。そして思ったとおりになります。

「意識すればそこに量子が偏在する。意識は光子(バイオフォトン)で エネルギー、 波であり物質(粒)である。人は自分の見ているものすべてに影響を与え変化させる。何かを見るだけでその何かの分子を変え、原子を変えエネルギーを変えるほどの力を発している。素粒子は人間が意識していないときは波(エネルギー)で人間が意識したときだけ粒(物質)になっている」

真理法則の科学的証明です。現実はよいわるいを抜きにして幻想の世界なのでしょうか。