霊性の旅~日月神示の源流を訪ねて(ラストツアー)

中国上海での人生初の霊性の響きに共振した
体験がきっかけとなり、この国や世界での数々の
響きの体験は始まりました。

ですがこんなにも魂を揺るがす体験は始めてと
なりました。

その旅は「日月神示の源流を訪ねて」と題して始まります。
いつもに似ず参加者8名の少数の旅、しかも
現代の日月神示と呼ばれるNさまによる
御天画の学びを長く続けている方7名と
比較的経歴の浅い1名様の参加です。

令和5年9月23日~24日。
それは日本の国譲りの神話の息栖(いきす)神社
香取神宮が皮切りとなりました。
そして翌日の鹿島神宮。

ですが目的はそして響きは翌24日の麻賀多神社内の
天日津久神社にあることは最初からの確信でした。
できればそこでゆっくりと感じていたい希望が
魂の底から湧いていました。
旅立つ前からワクワクしていたのです。
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陽光さんさん 光のものがたり その3

7月18日に御天画があらわれてから一か月が過ぎました。

8月21日日曜日に読書会の後にミネハハさんの
コンサートが伊路波村(やまぜん)で開催されます。

ミネハハさんとはほぼ20年ぶりの再会。
津島の造り酒屋の酒蔵でのコンサートでした。
久しぶりの歌声にまたしても以前のように
「ボロボロ」になりました。
多くの人も泣いていました。

ふしぎ、ミネハハさんも泣いていました。
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出水兵児修養掟(いずみへこしゅうようおきて) 鹿児島

どなたにお聞きしたのか失念しましたが、
調べてビックリ!
島津藩山田昌厳翁の素晴らしい人格。

原文
出水兵児修養掟(いずみへこしゅうようおきて)

士(し)ハ節義(せつぎ)を嗜(たしな)み申すべく候(そうろう)。
節義の嗜(たしな)みと申すものは口に偽(いつわ)りを言ハず身に私(わたくし)を構(かま)へず、心直(こころすなお)にして作法(さほう)乱れず、礼儀正しくして上(かみ)に諂(へつ)らハず下(しも)を侮(あな)どらず人の患難(かんなん)を見捨てず、己(おの)が約諾(やくだく)を違(たが)へず、甲斐(かい)かいしく頼母(たのも)しく、苟且(かりそめ)にも下様(しもざま)の賎(いや)しき物語り悪口など話の端(はし)にも出さず、譬(たとえ)恥(はじ)を知りて首(くび)刎(は)ねらるゝとも、己(おのれ)が為(な)すまじき事をせず、死すべき場を一足(ひとあし)も引かず、其心(そのこころ)鐵石(てっせき)の如(ごと)く、又温和慈愛(おんわじあい)にして、物の哀(あわ)れを知り人に情(なさけ)あるを以(もつ)て節義の嗜(たしな)みと申すもの也(なり)。

口語訳 “出水兵児修養掟(いずみへこしゅうようおきて) 鹿児島” の続きを読む

再録 Iさん懐古 その13~空から話せば

「空から話せば70億の人に届く」

Iさんとお食事したり、みなさんで集って
講演会後の二次会に行ったりして会話をしていますと、
この世界の現実的な良しあしや、お人のうわさは
ほぼありません。

会社の同僚や、上司やグループでの飲み会とは
おそらく真逆なんでしょう。
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吉田松陰 「覚悟の磨き方」 池田 貴将 著 9

感動は逃げやすい

山の小道というものは、
人が通っているうちは道ですが、
ひとたび人が通らなくなると、
すぐに草が生え、ふさがってしまうものです。
人の心も同じで、
良い話は誰でも好きだから、
すぐに影響されて「自分もがんばろう」と決意しますが、
何も行動に移さないと、すぐに心から逃げてしまいます。
道ができるか、ふさがるかは一瞬です。
やってみましょう。
人はいつでも、いまこの瞬間から変われるのですから。

陽光さんさん 光のものがたり その4

森 幸一さんのお話はLED照明についてが
主です。
あと実は主体となるのが節電についてです。
重電(モーター関連)や軽電(照明)の
電力の省エネが場所に寄りますが40%~70%可能。
また省エネだけに絞りますと、このLEDは蛍光灯比で71%
従来のLED比では39%の節電になります。

なにより照明に健康の概念を入れて
太陽光と同じ光を97%実現したことは
驚きです。

そしてまずブルーライトです。

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吉田松陰 「覚悟の磨き方」 池田 貴将 著 10

流れを変えるのは自分の行動

幸運とか不運というものは、
天から無差別に降ってくるものではなく、
すべて自分の方から求めているものなんです。

そのことを思い出すことができれば、
他人のせいにしたり、
組織のあり方に腹を立てたりすることなく、
「自分の行動を変えよう」
という発想に行き着くことができるはずです。