過去に未来が・・・

今朝クッキングバンブーの使用感想が届きました。


先日、ぶくぶくを購入したものです。使用結果を報告させていただきます。スーパーで特価で売っている、一袋100円の椎茸を購入しました。ジプロックに入れて、ぶくぶくをしました。3時間ぐらいです。2倍近くになりました。ものすごい高級な椎茸になりましたが、それをベランダで干しました。お洗濯に使う洗濯リングに椎茸の軸を挟んで、3日、そして一週間干しました。市販の干しシイタケができました。

そして、それをお水に入れて、もう一度、ぶくぶくをしました。普通、干しシイタケはゆっくりと戻すので、一晩かかります。そうすると柔らかく、ごりごりと固い部分がありません。でも、10分ぐらいすると、大きくなって、ふっくらとして、30分ぐらいで戻りました。どうしてなのか、わかりませんが、結果だけ報告させていただきました。


宇宙は常には0に定まっています。現実の世界はなんらかの作用反作用の法則が働いて常に変化をしています。宇宙が中性力を発揮し常に0に定まるように、偏ったものを中性にしようとする条件を何らかの方法で物質に与えると、物質は0に定まろうとします。まさにどんな物質も同じです。

圧の差が生まれたところに中性力が働く。しいたけはまさに0になったようです。圧の差を生ませる方法は、バンブー(ぶくぶく)のような空気振動であったり、(バンブーは竹です。松は酸性梅はアルカリ性、竹は中性です。)マナウオーターのように衝撃圧だったり、風力発電機やテネモス式飛行機の空気振動圧だったり、土壌の微生物圧であったり、ピッコロやエアキューブでの電圧振動であったりします。

平成23年9月に御天画が現実に描かれました。

天画 201109.jpg
この平成23年と言う年は東北大地震の年です。

3月11日から6ヵ月後の9月に絵は現れています。その頃まだテネモスさんにはバンブー(竹)という名前を冠した機器はありませんでした。竹(バンブー)の名を冠した機器は昨年の平成27年くらいから世の中に上梓されました。

絵の中を見ますと、金魚鉢に二匹の魚が活きいきと動いている様子が伺えます。そして竹の筒によって、赤い生命エネルギーが注がれています。竹が神の智恵だと言っているかのようです。

すなわち0の法則が宇宙法則だよと教えているかのようです。平成28年4月現在育成実験中の岩魚は5ヶ月生きています。200リットルのバケツの中で同じ水で生きています。

岩魚160305.jpg

0の法則の方法は

1.マナウオーターシステム
2.マナエアーシステム
3.電圧振動

の3っつの交響曲です。

しかし平成23年の時点ではバンブーというテネモス機器なく、岩魚実験すると言う構想すらなく、まったく過去の時点では考えることのできなかったことが、御天画に描かれていました。そして左側のピラミッドが互いに接しているような絵。これは現在実験中のモーター発電機実験のような絵なのです。

モーター160404.jpg

紙一重の調整がほんとうに難しいのです。

現在にすべての過去があることはもちろんです。もし今回のことのように過去に未来のできごとがあったとしたらどうでしょうか。よく今にすべてがあると言われますが、そのことの確信に繋がらないでしょうか。そして今に全過去、全未来があったとしたら、私達は生きかたをどのようにすればいいのでしょうか。

出したものが返る。

出した意識どおりの現実を誰しもが迎えることになります。これは宇宙の法則です。

今日一日
怒らず 恐れず 悲しまず
正直 親切 愉快に・・・・

やっぱりこうですかね。絵を整理していて、5年前の絵にビックリしました。そのこともまた未来の今でした。

テネモス通信 vol.41

テネモス内にはうどんバル(バルとはスペイン語で居酒屋のこと)があります。水はもちろん、肉や野菜などの素材から作り方までナチュラルにこだわっています。

今年の2月だったでしょうか。うどんバルで使っているネギを出荷している農家さんが来られました。その農家さんは、数年前から「自然が教える農業」で、ネギを作っていたそうです。テネモス敷地内のうどんバルから注文が入ったご縁に驚きつつ、喜んでおられました。 “テネモス通信 vol.41” の続きを読む

テネモス通信 vol.42

全ては酸とアルカリの調整。

今朝起きた瞬間に飛び込んできた言葉です。

沖縄は電池のようなものだと、飯島さんから聞いたことがあります。沖縄列島は、酸性系の島とアルカリ系の島が交互に連なっている。だから力があるのだと。なぜ、こういう話になったかというと、沖縄には、ハブがいる島といない島があるという話からでした。 “テネモス通信 vol.42” の続きを読む

飯島さんありがとう。

平成7年、横浜のアンデスインターナショナルという旅行社で始めて飯島さんにお会いしました。この旅行者は飯島さんとご縁の深い知花敏彦さんの弟さんの経営する会社でした。およそ20名の人たちでボリビアに研修旅行するための打ち合わせに、その頃ボリビアと日本を行ったり来たりしてみえた飯島さんに、ボリビアでのご案内をお願いするための初顔合わせに出向いたのでした。

事務所に音もなく入ってみえた飯島さんに、人としての気配が感じられずに、心なしか驚いている自分がいました。当然に飯島さんは30代、とてもお元気で、農業の実践研究者という感じがいたしました。人柄は透明感のある寡黙で素敵な人という印象を持ちました。 “飯島さんありがとう。” の続きを読む