「どのようにすれば、この世界で平安が可能となるのか。」
世界のあり方は、事実であるにすぎない。
それが何であるべきかを、あなたが選ぶことはできない。
しかしそれをどのように見たいかは選択できる。
“再録 奇跡の道 その109~どのようにすれば、この世界で平安が可能となるのか” の続きを読む
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「どのようにすれば、この世界で平安が可能となるのか。」
世界のあり方は、事実であるにすぎない。
それが何であるべきかを、あなたが選ぶことはできない。
しかしそれをどのように見たいかは選択できる。
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「世界を救うためには、何人の神の教師が必要か」
この問いの答えは「ひとり」です。
なぜ多数という幻想が必要でしょうか。
その理由は単に幻想に惑わされている者にとって、
実相は理解できるものではないからですね。
“再録 奇跡の道 その110~世界を救うためには、何人の・・” の続きを読む
「犠牲の真の意味はなにか」
真理においては「犠牲」という言葉自体は
まったく無意味ですね。
それは一つのレッスン、そして幻想でしょうか。
実相においては学ぶべきことはひとつもない。
この世界が与えることのできるものは何もない
という事実を悟り、受け入れるには、多大な学びを
必要とするようですね。
そしてこの世界が定義する犠牲で、肉体に関連
しないものは皆無でしょうか。
“再録 奇跡の道 その111~犠牲の真の意味はなにか” の続きを読む
「世界はどのように終わるのか」
始まってもいないのに、真の終わりはあり得ませんね。
世界は、それが始まったときと同じく、
幻想の中で終わるのでしょうか。
ですが、その結末は慈悲という幻想のようです。
“再録 奇跡の道 その112~世界はどのように終わるのか” の続きを読む
「最後には一人ひとりが審判されるのか」
まさしく!その通りのようですね。
しかし、もはや恐れと結びつけなくなるときまで
それは訪れませんね。
誰もがそれを歓迎するようになるとき、それが彼に
与えられるのでしょうか。
“再録 奇跡の道 その113~最後には一人ひとりが審判されるのか” の続きを読む
「どのように一日をすごすべきか」
目が覚めたあと、できる限り早いうちに静かな時間を持ち、
それがむつかしいと感じ始めた後も、1~2分は続けてみる。
その難しさは減少し、消えてしまうかもしれません。
もしそうならなければ、その時がやめるべきときかも。
夜の時間も同じです。
確信しているべきことは、成功は自分がもたらすのではなく、
自分がそれを呼び求めるときはいつでも、どこでも、
どんな状況でも、与えられるということです。
「どのように一日をすごすべきか」
「魔術的想念にどう対処すべきか」
このことについての最初の責任は、攻撃しないことですね。
もし一つの魔術的な考えが何らかの形の怒りを
呼ぶとしたら、罪を信じる信念を強めてしまって、
自分自身に有罪宣告をしたということにありますから。
そして、ゆううつ、苦痛、恐れ、災禍が自分のもとに
訪れることを自分で求めてしまったということですね。
“再録 奇跡の道 その115~魔術的想念にどう対処すべきか” の続きを読む
「訂正はどのようにして行われるのか」
実相は不変であって、魔術的想念は単なる幻想でしょうか。
主要な学びは、魔術的な想念に対して、まったく怒りを
抱かずに反応する方法を学ぶことですね。
怒りは、ただ「罪悪は実在する!」と金切り声を上げますね。
“再録 奇跡の道 その116~訂正はどのようにして行われるのか” の続きを読む