「誰についてであれ裁かない者でありなさい」
ついつい自分の考えでものを判断しがちですね。
それでよけいなことを言ったり、変な行動を
とったりしますね。
そうするとその自分の裁きに反応するように
目の前の兄弟が攻撃したりします。
それも全部自分のことですものね。
“再録 奇跡の道 その101~誰についてであれ裁かない者でありなさい” の続きを読む
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「誰についてであれ裁かない者でありなさい」
ついつい自分の考えでものを判断しがちですね。
それでよけいなことを言ったり、変な行動を
とったりしますね。
そうするとその自分の裁きに反応するように
目の前の兄弟が攻撃したりします。
それも全部自分のことですものね。
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「贖罪は幻想を訂正するのであって、
真理を訂正するのではない」
贖罪って、この世界では、なにか罪をおかしてそれを
償うために行いをするものと言いますね。
でも奇跡の中の「贖罪」は
罪と罪悪感の実在性を信じる信念を訂正することです。
“再録 奇跡の道 その103~贖罪は幻想を訂正する・・・” の続きを読む
「どの(教えて学ぶ状況)もそれぞれに異なる関係から始まる。
究極のゴールとは常に同じである。すなわち、その関係を、
両者が共に神の子を罪なき者として見ることができる
神聖な関係とすることである。」
出会いによる救済に偶然はなく、出会うべき者たちは
出会うことになる。
なぜなら、一緒であれば、彼らに神聖な可能性があるからである。
彼らは互いに出会う用意ができている。
“再録 奇跡の道 その104~どの(教えて学ぶ状況)もそれぞれに異なる関係から・・” の続きを読む
「癒しには、病気という幻想が何のためのものかに
ついての理解が伴う。これがなければ癒しは不可能である。」
病気自体は一つの選択であって、決断でもありますね。
苦しんでいる人が、もはや苦痛には何の価値も
見なくなった瞬間に、癒しが達成されるようです。
まさか。?
でしょうか、?
“再録 奇跡の道 その106~癒しには、病気という幻想が・・” の続きを読む
「癒されるためには患者が自分の心を変えなければ
ならないというのなら、神の教師は何をするのだろう。」
患者当人の心を当人に代わって変えられるだろうか。
当然にそれはできない。
「すでに自分の心を変えようとする意欲がある者に
対しては、神の教師の機能は、ただ彼らとともに
喜ぶだけである。」
彼らも彼と一緒に神の教師になったからですね。
“再録 奇跡の道 その107~癒されるためには患者が自分の心を・・” の続きを読む
「判断はどのようにして放棄されるのか」
判断というものも、世界によって全面的に誤解されている。
それは実際に叡智と混同され、真理の代替とされている。
この言葉の用い方によれば、ひとりの個人が「良い」判断と
「悪い」判断をすることができ、彼の教育は前者を強化し、
後者を最小限にすることを目指している。
“再録 奇跡の道 その108~判断はどのようにして放棄されるのか” の続きを読む