神の使者から奇跡の道へ その127~ あとがき

奇跡のコースの三冊の本は自主学習の本です。

そのどの本から読み始めることも自由です。
また異なる本に途中で注目することも自由です。
後ろから読んでも、初めからでも、中からでも
なんでも自由です。

もともと言葉には限界があります。
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プライナスの復活

11年続いたバンドのプライナスが
活動停止してから8年が過ぎました。

路上ライブやライブで感動を与えたバンドは
新たにこの9月から二人で活動を開始しています。

「らいぶゆう」でのコンサートの模様から
「私は私で私らしく」と「イマジンルール」を
ご案内させていただきます。


私は私で私らしく


イマジンルール

神の使者から奇跡の道へ その129~智識

あなたの見ている世界は、世界のように見える
幻想ですね。神は永遠なるものを創造したのですから。
この世界は永遠ではありえず、常に変化するものです。

そして肉体の眼は実相世界(真実の世界)を見ることは
できないようです。

赦し、救済、贖罪、真の知覚などは一つの始まりに
すぎません。虚無から生じた世界が虚無の中へと
舞い戻るとき、時間も永久に終わりを告げます。

赦しは肉体を見ないので、分離は不可能だと証明します。

神の使者から奇跡の道へ その130~イエス

神は必要というものを知らないので、助けることは
しないのでしょう。それでも、神の子が自分の空想が真実だと
信じている間は、神の子のためにすべての助け主たちを
創造するようです。
あなたを家まで連れ帰ってくれる、彼らのことを
神に感謝ですね。

イエスという名は、一人の人間でありますから、
自分のすべての兄弟たちのうちにキリストの顔を
見て、神を思い出したものの名前でしょうか。

イエスはキリストでしょうか。
もちろんそうですね。

そしてあなたもそうです。

イエスは聖霊の顕現。

神の使者から奇跡の道へ その131~聖霊

ひとたびこの旅が始まればその終わりは確実だと
言われています。

助けを必要としている者はみな、自分自身を
攻撃しています。

他者のために祈る必要がなぜあるのでしょうか。
それはあなたが自分の罪悪感(分離感)の投影を
兄弟から取り去るため、および、自分を傷つけているのは
彼ではないということを認識できるようになるための
手段にすぎませんね。

ものごとや地位や人間の愛や、その他あらゆる種類の
外的な「贈り物」を求める祈りは、常に、牢番を
仕立て上げて罪悪感(分離感)から隠れるために
作り出されているようですね。

あなたとわたしは連れ立って進みます。
私はあなたがいなければ進むことができません。
あなたはわたしの一部だからです。

祈りは、真の謙遜への道。
謙遜は平安を運んできます。

神の使者から奇跡の道へ その132~赦し

赦しは癒しの同盟者。
両者が揃うことが必要とされています。

それは他者の中においてのみ、自分自身を赦すことが
できるからですね。
邪悪なのは常に他人であるように見え、その他人の罪の中で、
傷ついている者はあなた。
そうならばあなたはすべての者の奴隷ということですね。
何故なら、相手が行うことが、あなたの運命や感情を決め、
絶望か希望か、惨めさか、喜びかを決めることになるからでしょうか。

他者を赦そうとする者が、自分のほうが善良だと
主張することはしませんね。
他人の悪意に対して、寛容であり、沈黙と優しい
微笑みだけをもって応じるというのは親切なことですね。

神はただ与えるのみ。