随想 伊路波村から1~思い出はじめ~

自分の人生を幼少期から現在まで書き留めさせて
いただいた「ある道のり」でした。

最も近い家族、仕事を通じた体験。
そして自分という性向をもちながら、
人生がどのように展開していったのかを
書かせていただいて、はやくもなつかしい思い出と
なりました。

東京の友人からメールがありました。
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随想 伊路波村から2~家族

会合へ出向く用事があって、
夕方タクシーに乗った。

運転手さんが関西弁なので、
「関西のかたですね。」と
話しかけた。

それからの10分間、この運転手さんは
まくしたてるわけでもなく、淡々と話してくださった。

「大震災にあったんですよ・・・。
会社勤めだったんですが。
家がペシャンコで・・・・。

何にもなくなって、てっとり早くお金を
稼ぐ方法といったら、タクシーが一番で、
それで名古屋に一家で出てきたんです。

もうすぐ娘が結婚するんです。
娘には苦労ばっかりかけて・・・。
でもいい子になってくれて。

この前、あんまりいい目させてあげられなくて
ごめんな、って言ったら、
(地震で大変だったけど、家族みんなで
いられる時間が増えてよかったよ。)
って言われました。

嬉しかったです。」

短い出逢いの運転手さんに

こんなにたくさん素敵なお話聞かせていただきました。

随想 伊路波村から3~見ていない

何気なくすれ違う人の顔など、
おそらく誰も覚えていないのだろう。

でもその時はなんとなく気になって確かに見ているはずなのに。

宿泊したかんぽの宿で、朝早くに
一階のお風呂に行った。

ノレンをくぐりスリッパを脱ごうとして、
なにげなく右側を見ると,お風呂から出てきた
人がいた。乱視に遠視なのではっきりしないが、
ハットした。もしかして女のひと。?!

知らん顔して、結構急いで(笑)入り口に逆戻り。
ノレンを振り返り見れば、赤。

朝は男女入れ替わります、という案内がお風呂に
あったねえ、昨夜。(爆)

結構世の中を見ずに歩いている事って多い。
何かの思いにふけったり、完全に思い込みの中で
行動していると、赤が見えないのだ。

以前、日帰り入浴の温泉に出かけて、
お風呂からあがると、息子のパンツと自動車のキーがなくなっていた。

すぐにキーはみつかったけれど、パンツは見つからなかった。

ちょっととぼけたおじいちゃんは、おばあちゃんと
旅したホテルの浴場で他人のパンツと浴衣を着て、
その持ち主に返してくれと言われたとか。(笑)
あたりまえでしょう。

自分がどこへ脱いだのかわからなくなってしまったようだ。
とぼけた風呂騒動の親子三代話。(笑)

それでも見る気でみた夜の星。
もう明け方に近い頃に輝く北斗七星。
明るい名古屋の夜では星はもう見えない。
星を見れた恵那の夜。

そのことは忘れない。

随想 伊路波村から4~いらないものを捨てていくと

あれはこうして
これはこうして
こんな時はこの方法で

あそこが悪かったら ここで治すことを教えて
これがおいしいし 健康にいいし
からだにいい洗剤とか 悪い洗剤とか
よい化粧品とか 悪い化粧品とか

玄米とか 肉食とか
養殖とか 天然とか

農薬とか無農薬とか
西洋医学とか東洋医学とか
スピリチュアルとかフィジカルとか

とにかく全部 ほかして
目の前のことを いつも喜んで やって

水と空気とすこしの食べ物と
雨の降らない家と
寒くない服とが あって

助け合う家族と
挨拶しあう 会社仲間と

なるべく高く買ってくださる お客様と(笑)
黙っていても一緒にいたい友達が少しいれば

そんなふうな人生が いいです。

随想 伊路波村から5~悲しみのアンブレラ

ジンときました・・・・。
悲しみのアンブレラ 

雨が降り続いてる うだるような暑さも

あやふやのまま終わりにした 君と僕に似てるよ

生乾きで着た服は 湿っぽくて嫌だな

穏やかな顔して飲み込んだ 想いが今頃 溶け出した

雨音の中に潜んだ 君を辿る

今更 遅いけど

アジサイの花のように 雨の中にいても

綺麗な夢を咲かせられる 僕で在りたかったのになぁ

雨粒に紛れて 涙がこぼれ堕ちる

いつか君に 会えるといいな また

悲しみのアンブレラ 涙のせていくよ

この雨が止む頃に 僕の中の雨も

晴れ上がると信じて

水たまりを見つめてた 淋しさを映して

本当のことが言えたなら いつまでも君といたかった

雨雲が僕を包んで 夢を降らす

滴の中の君を求めていく

悲しみのアンブレラ 涙のせていくよ

傘の柄の君の名を 指でなぞりながら

潤む声で叫んだ

美しい空に架かる 虹が見える 幻じゃなく

でも 僕の心は 切なさで 濁ったまま

歩き出せずに 雨の中 悶えているよ

悲しみのアンブレラ 傘越しに見える空

悲しみのアンブレラ 涙のせていくよ

この雨が止む頃に 僕の中の雨も 晴れ上がって

君に また会えると 信じて

随想 伊路波村から6~ほんとうは無料

水 空気 エネルギー

生かされることに 基本的に必要なものは
みな ほんとは無料。

キレイな水 きれいな空気 を得ようとすると有料。

エネルギーたるや インフラをがっちり握った人々が
50年を超えて 供給してきた。

そして今 情報の世界では そのインフラを握った人々の
線や無線の供給で 通信費は莫大な額となった。

しかしこの通信費なるものも テレパシー能力が
人間に開花すれば 無料となる。(笑)

そして人間の目指す方向がかわれば なおそのことは加速する。
太陽や 空気や海や 供給してくださる自然から
エネルギーをいただければ これは無料。

もともと支配が生み出した現実は
消えてゆく姿だろうか。

土地持ちの家庭に生まれた人は
生まれたてから 生きる条件が整っている。

何も持たない家に生まれた人は
土地や家をもつことだけに人生の大半をかける。

持たなくても 維持することだけにと言ってもいいかもしれない。
働き続ける宿命を背負う。

そしてなるべく他人との関わりの少ない人生を選択する。
消耗を防ぐため。?

人間は一人では生きられない。
寄り添って 群れあって生きる動物だ。
そして人との接触によって 変化を生み出し
創造と実践の喜びを知る。

変化と感動は 生きる糧。

慈悲喜捨は生きるエネルギー。

そして 感謝はすべて。

随想 伊路波村から7~いただきます

「いただきます」
86歳になる父が 食事が終了してから
そう言った。

思わず 吹きそうになる。(笑)

毎食後に飲ませていただく
自分用のお薬を 曜日別 食事後別のケースから
取り出して 目の前に並べてから 思わず
口に出てきた言葉が「いただきます」。

老夫婦が その日に行った 税の確定申告で
あわせて申請した 一年間に要した医療費は
45万円を少し切った額。
自己負担30%として 医療費全額は150万円
になる。

一人にすると75万円。
これだけの医療費が 必要になる老人という世代。

この国の 皆さんに助けられて生かされていると
思うと 戻るはずがないと言われる 厚生年金も
ぐるりと廻っている感じで 助け合いと思わせていただく。

いい老人とは 「いつもニコニコしている老人」とか。

うちの老人は まるで 宇宙人だ。(笑)

随想 伊路波村から8~天地人一体の今

ほんのわずかな時間で
人と人はであう。

予想もしない出逢いが
その夜の楽しい時間を生むことがある。

そしてそれがもし用意されていたことだとしたら、
この世に生まれさせていただいた不思議と
ありがたさをあらためて感じさせていただく
こともあるだろう。
そんな夜がある。

この世的ではない方との出逢いは
また楽しいものだ。

何をいっても面白いのだから。
閉塞的な今の国の状況の中で
勝ち負けを競いあう集団や、
逆風を事業縮小やコストカットでしのぎ将来に
かってのような夢をもてずに、
さりとてやめる勇気ももてない経営者や、
撤退をうまくしたいと願う老いた
事業家の群れなどを目や耳にする。

続けるということの偉大さを思う。

生きている人々との縁が集団を形成し、
関わる人々の相互の幸せを願い、
日々仕事に精を出す。

だが活躍の場は少なくなり
必要のない人々は仕事を奪われ
不安定な職場を転々とする。

かってのようにただしゃにむに
生活の質の向上を目指した時代が、
幼稚ではあってもなつかしくさえ感じる。

すこしの向上で喜び、わずかな贅沢に
幸福感を覚えた日々もあった。

だが突然にそのむなしさに襲われ、
真理を求めてさすらう幾年間で
着実に大きな波は近づいてきている気が
するのだ。

クライシス。

般若心経や祈りの言葉を
口にしながら、ポロポロと涙を
こぼす娘の純真さに、何と言葉をかけたらいいのだろうか。

死をもって今を精算する人のなんと多いことか。

真理はどこにあるのだろう。

他人の役にたつことが人として
最大の喜びかも知れないが、
この世的な役の立ち方では
真の輝きは得られない。

ひとつとして「感謝」以外のものは
存在しないと教えて下さったのに。

あなた(わたし)は無限。

随想 伊路波村から9~みんな自分

あなたが私だということにきづくのに
どんなに長い年月が必要とされたことでしょう。

そしてわかったと思ったはずなのに まさか
そんなはずはないと やっぱり思ってしまう自分に
幾度も会うのです。

そして今度のいのちが 役目を終えるときには
もうほんとにわかりましたと 全ての方が心底感じて
さようならをするのでしょうか。

今年のたくさんの いのちの終わりのお知らせが
届くたび 明日はわが身と思うこともあるのだけれど
まだ 終わる 終えるわけにはいかない 個性の
意地のような かわいさも感じるのです。

人の罪も もちろん我が罪も すべて私の責任のもとに
現われた現象と いのちの底から思えたとき
もうそこに 光の世界が待っているのでしょうか。

今生でお会いできた全ての人々に感謝して
勢ぞろいのときを迎えた感がします。

子の年の紀元節の日 大きな虹が
とぎれとぎれに見えて あまりの幸せに
そして感謝に 今回の意味を知りました。

今日もありがとう。

あなた様という 自分に会えました。

随想 伊路波村から10~出会いの時間

出会いの時間
人は出会う。
当たり前だけれど。

そして物凄い影響を受ける人もいる。

小学校、中学校時代なんか、
素敵な字を黒板に書く先生の真似をして、
自分の字が変化していく。

そんなことが数回あって、自分の本当の字が
確立していった。

今も変化しているのだろうけれど。

人生に強い影響を与える人さまとの出逢い。
そんな出逢いこそ、今回の人生の醍醐味だろうか。

会っては去り、あっては去りの繰り返しもまた人生。

他人様の集合体がまるで私のよう。

どんな人に出会うのかは、どんな人間に
なるのだろうかと同じように思わせていただく。

なつかしい出逢いに、心ときめき、
そして別れがくる。

今度はいつの「今」に、その方に出会わせていただけるのだろう。

そんなふうに思うと「大切にしよう」と思わざるを得ない。

仕事の話だけれども、いつも迷うのは「顧客優先ばかり
していると会社はどうなるのだろう。」という問題。

このことは人生の生き方にも通ずることだろうけれど。
今朝、そのことに触れている文章にいきあたった。

「愛他論」パウロの行動原理だ。
「私は、誰に対しても自由な者だが、すべての人の
奴隷になった。できるだけ多くの人をえるためである。
ユダヤ人に対しては、ユダヤのようになった。

ユダヤ人をえるためにである。・・・・弱い人に対しては
弱い人のようになった。弱い人をえるためにである。

すべての人に対してすべてのものになった。
何とかして何人かでも救うためである。」

ここでの自由な人とは、自分を捨てて
相手の奴隷になることによって、すべてを
獲得できる人という意味のよう。

「奴隷になれ」なんていやだ、言うべきことは
言うべきだ、と聞こえそうだけれど、
結局すべてを許し、相手の奴隷になることは
深いところの己の真の自由であり、意志である
のかも知れない。

出会う人すべてが私なのだから。